2023年10月22日

「思い出のイトムカ」を読んで

8月下旬に国道242号置戸町北光地区で行っていた排水工事個所で空洞が確認され、それが水銀鉱山坑道跡だったことをきっかけに、置戸やイトムカの水銀鉱山について色々知りたくなって、今回はイトムカ水銀鉱山閉山40周年に発刊された「思い出のイトムカ」を読みました。
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北見市留辺蘂町のイトムカ水銀鉱山で働いていた、又はその子供だった方達のイトムカでの仕事・暮らし・学校や行事などの思い出が綴られています。戦中戦後の生活史としても興味深い本でした。
中国人・朝鮮人労働者についての記述もあり、これこそ今日韓の間で問題となっている徴用工だったという事を、今更ながら気付かされました。
徴用工、これは大きな鉱山や朝鮮半島の工場などの事だろうと思っていたら、置戸の鉱山にも韓国徴用工が120人程労働させられていたわけで、遠い話ではなく、身近な話だということに衝撃を受けました。不勉強でした。韓国政府作成「戦犯企業」273社実名リストの中にも、イトムカ・置戸鉱山を採掘していた野村興産の名前は載っています(徴用工訴訟対象にはなっていないようです)。

学校では、徴用工問題、どのように話しているのでしょうか、遠い場所の話ではなく同じ事が身近でも行われてたことを教えること、報道も今一度過去を客観的に検証して伝えていくことで、何があったかをお互いに冷静になって知ること・学ぶことがない限り、日韓がわかり合えることは難しいだろうと感じています。
大事なことは、まず知ることです。

この本の第1章は、下記のページでも読むことが出来ます。また、発刊後の動きについても記載があります。
https://sites.google.com/site/itomukanoomoide/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
置戸には朝鮮人・中国人殉難慰霊碑がありますが、現在も稼働している野村興産への配慮か、留辺蘂には慰霊碑がないとのこと。慰霊碑はそこで何があったか、後世に伝えていく、記憶の場であると思います。
置戸町史に比べて、留辺蘂町史には水銀鉱山の記述が極端に少ない、企業やそこで働く人への配慮も必要ですが、もっと大きな視点から物事を捉えてほしいものです。
posted by snowgoose at 21:44| Comment(0) | 日記
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